巡礼は「意識」における冒険です


KYJ2016年秋季号 By M.G.Satchidananda

私の人生にとって巡礼は、1972年に南インドに初めて行った時から過去47年に亘り、最も意義深い活動でした。旅行者とは異なり、巡礼者はそこで新しい経験を捜し求めるのではなく、気晴らし、娯楽、楽しみを求めるものでもありません。巡礼において、我々は「名前と形」(訳注:エゴ)を超えた我々の「真我」の真実、「神」、言い表すことのできないものを知ろうと求めるべきです。

巡礼は全ての霊的そして宗教的な伝統に見出されます。 2000年に亘り、キリスト教の全ての宗派はベツレヘムとヨルダン川への巡礼を行ってきました。ローマカトリック教徒もまた、ローマのヴァチカン、フランスのルルド、モントリオールの聖ヨセフ教会に行きます。カトリック教徒と多くの者が、スペイン北西部のサンティアゴ・デ・コンポステーラの聖ヤコブ大聖堂へ数百マイルの道を歩きます。

ユダヤ人はエルサレムの神殿の丘に巡礼に行きます。仏教徒はインド、ビハール州のブッダガヤへと行きます。イスラム教徒はメッカへ行きます(バッジ)。ヒンドゥー教シヴァ派の人たちは北インドのヴァラナシ、ケダルナート、アマルナート、そして南インドのチダムバラム、アルナーチャラ山、サバリマレーへと行きます。ラーマの信者はアヨーディヤへ行き、クリシュナの信者はブリンダヴァン、プーリ、スリランガンへ行き、ムルガン神の信者は、カタラガマ、パラニ、ティルチェンドゥールを含む彼の六つの寺院へ行きます。人たちの全ての伝統においては、南インドのラメスヴァラム、最北部のヒマラヤ、ガルワール地区のバドリナートへ巡礼に行きます。ヒンドゥー教徒と仏教徒はティベットのカイラース山に巡礼に行きます。アメリカ・インディアンの伝統では、巡礼はヴィジョンによる探求の形をとるか、アリゾナ州セドナやカリフォルニア北部のシャスタ山のような神聖な場所を訪れることになります。世界には他に数百もの巡礼地があり、その多くは聖人、賢人、グルに関係しています。

巡礼の世界的そして昔からの性質は、それが単一宗教の教えに限定されない、説得力のある証拠だということです。 巡礼は自己超越における霊的な修練です。あらゆる霊的な修練にあるように、我々の目的は、ありふれた日常の生活への没頭を手放し、時間、空間、想念あるいは感情によって制限されることのない神聖さに対する向上心を養うことにあります。言葉を換えれば、退屈で、問題含みで平凡になってしまったものから離れ、知られることなく、人間性を高め、言葉に現せないものに向かって進むことです。我々のエゴが感じる、生気体における幸福感の経験を、束の間ながらもたらす欲望とは異なり、(霊的な)向上心は、「真」、「善」、「美」、「無限」そして「永遠」に対する魂の要求です。向上心は、好きだの嫌いだのといったエゴのゲームとそれに続く苦悩から遠ざかることを求めます。向上心は、「一者」との合一を求める魂の探究です。向上心は、マインドと感情から生じる全ての制限と分離感を克服しようとする魂の願望です。

意識は人生におけるもっとも大きな神秘です。それは単に観察するものです。それは全ての生物に個別化されています。同時に、宇宙意識は全ての個別化された意識を観察しています。それは、巡礼者が究極的に探し求めている「それ」です。巡礼の目的地で、我々は「神」の神秘的な「存在」(あるいは臨在)に気づきます。『ヨーガ・スートラ』の第一章24/25節で、パタンジャリは「それ」をこのように表現しています。

「イシュヴァラは特別な神我であり、苦しみ、行為、行為の結果や、欲望の如何なる印象にも影響を受けない。そこ(至高の存在の中)に(完全な)全知を(顕現させる)種子がある」

巡礼者は、選択無き気づきを養うことで(自身の)内奥に対する集中を維持します。旅行者は、そこで好きなものに飛びつき、嫌いなものを避けることで新たな感覚的な経験の過ぎゆくショーの中に幸福を捜し求めます。しかし巡礼者はどんな困難に直面しても、静かな平衡感と存在感を維持しようと努めます。

巡礼の地に行くことは、概して困難を伴い、それは(巡礼者の心に)抵抗を生みます。その抵抗は、(巡礼者が)それに耐え、目撃者としての魂の視点を維持し、執着や回避を伴うエゴの視点に屈することを避ける能力を試します。巡礼での経験は、古典的ヨーガで言う“ヴァーサナ”(薫習)、あるいは今日のボディー・マインド系の書物でいうブロッケージ(障害物)として知られる、未だ解決されていないトラブルや夢または希望を呼び覚ますきっかけになるかもしれません。選択無き気づきを養うことで、巡礼者はこれらを実際に手放し、そのような記憶が常に保持していた苦しみから解放されたことに気付きます。

それでは、巡礼の目的地が何故我々の望みを叶える効果をもたらすのでしょうか? 聖者または霊的伝統や宗教の創始者は、そのような神聖な巡礼地に、巡礼者の霊的経験、気づきまたは意識のより高い状態に到達するか、少なくともそれを垣間見ることのできる崇高なエネルギーまたは種子を植え付けています。そしてそのような聖者または聖地に深い敬意を払う人たちが、自身の希望、愛そして献身をそこに貯めて行くにつれ、彼らの後に訪問する人達すべての意識を高めるパワーを増加させるのです。このように、聖地は、信心深い者が霊的なエネルギーを追加しそして引き出す、霊的なエネルギーの発電機となります。

量子物理学とヨーガ・シッダーンタ(シッダの究極の教え)はともに、宇宙の基礎的な建物の素材は意識のエネルギー、すなわちシヴァ・シャクティだと教えています。意識のエネルギー以外は何も存在しないのです。巡礼者の眼には、時間、不完全な知識、部分的な力、情熱と運命を含むニュートン物理学の明らかな法則、グナ(自然の三要素)、マーヤー(幻力)の動力因は全て「それ」に溶け込みます。巡礼者が、目的地における意識のエネルギーを持つ聖別された場所に近付くにつれて全ての制限は超越されます。そこに到着し、彼らのあらゆる種類の抵抗、記憶、精神的な障碍を純化してしまうと、彼らは霊的な充足の至福を楽しみ、永遠にそこに留まります。

巡礼は我々がサンカルパ、すなわちそこに行くという意図を固めた瞬間に始まります。 この意図とは、願望や希望ではありません。それは約束です。「私はいくつもりでいます・・・」しばしば我々は約束するとき、そこに行くのに必要な資金や物を集め、例えば、家族とか従業員に対する他の約束を終わらせるか、あるいは健康、教育、体調そして法律問題までも含む我々自身の制約を克服しなければならないかもしれません。しかし、(巡礼に)行く約束そのものが、あらゆる障碍とあらゆる形の感情的な抵抗を克服するための必要不可欠で強力な手段を与えてくれます。

巡礼の間、よくある注意散漫、感覚的な歓び、色々な娯楽、家族に対する義務そしてデジタル時代にあっては携帯やeメールを通じて仕事をすることなどに耽ることを避けることで、巡礼者は霊的な希求に対する約束を堅持します。霊的もしくは宗教的な伝統によって、巡礼者は更に、祈り、マントラ、気づきを伴う呼吸法、瞑想を含むある霊的な修練を継続的もしくは定期的に行うことでしょう。従って、内面的には無欲として、そして外面的には内への集中を乱す活動を避けることによって離欲(無執着)が養われるべきです。離欲は真我実現を達成するための、パタンジャリの主な手法です。ヨーガ・スートラ第一章12節において、彼は次のように述べます。

「無執着を伴う常習により、意識の内に湧き起こる変動と(真我を)同一視することが停止する」

ヨーガまたは霊的な巡礼のゴール、すなわち「自分はこの体であり、この心だ」というエゴの視点から生じる苦しみからの解放は、巡礼者がそのような執着を離れて観察する普段の修練に成功する度合いにのみ応じ、現実のものとなります。これは、巡礼の間に何かが起ころうとも、静かな心の平衡を維持することを求める純質的(サトヴィック)なアプローチです。

不幸なことに、既に世界的な趨勢となった今日の物質文明において、しばしば多くの巡礼者は(彼らの)目的の必要性の僅かな部分しか達成できません。その目的とは、子供をもうけること、良い仕事に就くこと、または何か他の物質的な恩恵を得ることだからです。祈りの中で交わされた願い事にあるように、そのような巡礼者は出発前に、彼らが熱心に表現した願望と引き替えに巡礼をやり遂げることを神に約束します。このアプローチは激質(ラジャス)すなわち行為、散乱、熱情の特質に捉えられた者たちに採用されます。悪いカルマの結果または罪深い行為、罪、恐れを償おうとして巡礼を苦行と捉える人達もいます。彼らは暗質(タマス)すなわち惰性、疑い、不明(混乱)の特質に捉えられた者たちです。インドにおいてはしばしば占星術師が、激質的なものや暗質的なものに対する処方箋として巡礼を勧めます。

バドリナートはババジのクリヤーヨーガにおいて、なぜ最も重要な巡礼地なのでしょうか? ババジと18人のシッダの伝統に関連する多くの巡礼地があります。最も重要な場所は、ババジの生誕地であるパランギペッタイと、彼がイニシエーションを受けて苦行を行ったスリランカのカタラガマとタミールナードゥのコートラーラムです。しかし彼がソルバサマーディの究極状態に達したことを悟ったバドリナートが最も重要なのです。ババジはこの現象界において、彼の神聖な肉体を維持し続けているので、バドリナートは彼の信者と弟子が、彼らの明け渡しの程度に応じて、最も親しく彼の存在を経験できる場所なのです。完全な明け渡しは、五つの全ての象限(肉体、生気体、メンタル体、知性体、霊体)におけるヨーガの技法の究極の手段です。ヨーガ・スートラ第一章23節で、パタンジャリはイシュヴァラ・プラニダーナに就いて語ります。

「もしくは、『神』への明け渡しにより、サマーディを達成する」

「神」が神々(訳者註:複数形の場合は唯一神ではなく、天界の諸神を指す)の名前や形としてではなく、最高に崇拝される「グル・ヨーガ」として、ババジのクリヤーヨーガは究極的に、愛の普遍的なヴィジョンを悟ることを求めます。ティルムラルはティルマンディラムの中で、「アンブ シヴァム」すなわち「神は愛なり」と言っています。

 この理由から2008年以来バドリナートにおけるアシュラムを建設中です。私がこれを書いている間にも、アシュラムの12の部屋は、四人の教師に率いられた18人の祝福された魂からなる最初のクリヤーヨーガ巡礼者のグループによって利用されています。当初これが計画された際の本来の目的は、集中的な修練を行いたいと希望するクリヤーヨーガ参入者(イニシエーション受講者)を援助するためのものでした。それとは対照的に、神聖で昔からあるシュリ・バドリナラヤン寺院で礼拝するためにバドリナートに行くほとんどのヒンドゥー教巡礼者は、そこに二日間滞在するだけです。ババジのグルであるアガスティアは、バドリナートに行ってそこで苦行(タパス)を行うよう伝えました。マハーバーラタという叙事詩に描かれた、インド国内を二分する戦争における古代の王族のリーダーであるパーンダヴァも、戦争の後バドリナートでタパスを行ったことにより、(魂の)解放を達成しました。他の数えきれないヨーギも同様です。私の師であるヨーギ・ラマイアは、そこでババジのクリヤーヨーガの144の技法を伝授されました。そして1999年に二回、バドリナートの更に上のサントパンス・タルで私はババジとのダルシャンの栄に浴しました。

グルの原理(真理、無条件の愛、美、至福を現す大自然の法則)はどこにおいても接することが可能ですが、巡礼の熱心さとバドリナートで実施されるヨーガの修練に勝るものはありません。標高3千メートルに位置し、聳え立つ7千メートル級の山々に囲まれ、11月から5月までは外界から隔絶されたバドリナートはクリヤーヨーガの修練に理想的な、汚れなく、高い霊的エネルギーが注入された環境を提供してくれます。

私たちからあなたへの巡礼の誘い  バドリナートの新しいアシュラムは、一週間から4カ月までそこに留まって長期に亘る強化修練を希望するクリヤーヨーガの修行者の特別なニーズを満たすために設計されました。教師団のメンバーは毎年、巡礼の時期として最も好まれる5月のほとんどの日と6月、そこを訪れる修行者と訪問客をサポートするため、新しく出来たアシュラムに滞在します。7月と8月はモンスーンが発生する季節のため、さほど好ましい時期ではありません。

教師団のメンバーに率いられた17日間のバドリナート巡礼は毎年9月から10月にかけて編成されます。南インドとスリランカにおける、18人のシッダに関連する神聖な場所への巡礼は、より涼しい1月、2月に毎年催されます。教師は日に二回、ババジのクリヤーヨーガの五重の道としてのグループ修練(サーダナ)を指導し、講義とサットサンガによりクリヤーヨーガに対するあなたの理解を深めることでしょう。バドリナートアシュラムの責任者は巡礼のグループに同行し、交通と宿泊施設を含む全ての旅程に関わる手配をします。この巡礼の企画は通常7~8日間のバドリナート滞在を含みます。他の日々は、330Kmに及ぶ景色が良い崖に沿った道を通じてのバドリナートへの往復、ガンジス川のヒマラヤ山脈の出口に当たるリシケシ、そして近くのハリドワールで過ごすことになります。この二つの都市は巡礼、タパス、クンバメーラの主要な拠点です。

推奨されている5月、6月の間、または可能性としては7月8月でも、新しいバドリナートアシュラムに滞在する申込み、または教師に率いられた9月10月の巡礼または南インド、スリランカへの巡礼の参加申し込みは、著者である私(satchidananda.)に送信して下さい。バドリナート巡礼、または来年の南インド、スリランカへの巡礼に参加するあなたの夢を、今日現実のものとしなさい。それを計画し、準備し、そして映像化(視覚化)しなさい。この瞬間から後は全ての障碍を克服するために気づきを伴った行為を養い、それによって全ての苦しみからあなた自身を解放しなさい。あなたの人生という巡礼が、覚醒という結果をもたらしますように。

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Video 「大我」に関する動画。 2020年11月


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