Babaji's Kriya Yoga
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ヴォイス・オブ・ババジ

 

クリヤー・ババジの人生 1

 

 19世紀のある晴れた日、一人の巡礼者が、到達するのがほとんど不可能だと思われる岩棚へと続く険しい崖を半狂乱状態でよじ登るのが目撃された。その岩棚はヒマラヤの聖なる場所にあり、偉大な聖者たちのタパスと存在によりその日まで清められてきていた。この勇敢な人物は、変わらぬ熱意で数か月の間、時間と死を征服したパランムクタを探していた。明らかに見えざる力に突き動かされその男は高所にある平たい岩棚へと何とかよじ登ることができた。そしてそこで求めていた人物、25歳の不死身の若者を見つけた。その若者は肌の色が白く、中肉中背で、美しく、たくましく、輝く身体を有していた。長くて艶のある赤褐色の髪、黒く落ち着きがあり輝くヨーギの目、特徴的な大きな鼻を持ち、ダンダ(竹の棒)を握っていた。端的に言うと、お気に入りの一番弟子であるラヒリ・マハサヤを若くするとそっくりであった。

 

 この侵入者は、帰依者たちの輪に加わった。そこにはスワミ・ケバラナンダと2人のアメリカ人の聖者もいた。この侵入者は直観から恭しく「あなたは偉大なババジにちがいありません」と言葉を発し、弟子にしてくれるように求めた。偉大な大師は、座っている岩のごとく無言で動かなかった。大師はその求道者を試していた。しかし、アウム、それはラクダの背骨を折る最後の藁になってしまった。巡礼者の忍耐は尽き、神聖な目的を達成するためにババジの導きが受けられないのであれば、自殺するしかなかった。ババジは動揺することなく静かに「そうしなさい」と答えた。善良な求道者はその場に立派に対処し、死が待ち受ける岩だらけの谷間へと飛び込んだ。この不幸な展開に一同はショックを受け動転した。一同はサットグルの意図に気づいていなかった。サットグルはただヨーガの古の厳しい掟を実行しているだけだった。ヨーガの瞑想を通して神を実現するためには、求道者は自らの人生を犠牲にし、捧げる準備ができていなければならないというものだった。

 

 「死体をここに持ってきなさい」。ババジの命令で墓場のような沈黙が破られた。命令を果たすべく数名の者たちが急行し、バラバラになった肉や骨がババジの足元に差し出された。

 

 「今や彼は弟子になる資格がある」とサットグルが落ち着いて述べ、残骸に神聖な手で触れた。驚きの中の驚き。不思議の中の不思議。奇跡の中の奇跡。求道者は息を吹き返し、サットグル・デーヴぁの御足にひれ伏した。「おまえが死に襲われることは二度とない」。ババジは新しい息子に愛の光線を放っていた。この息子は、ババジの恩寵により数時間の内に不死身になったのであった。一般人がこの領域に達するにはサーダナを何世代にも渡って行わなければならない。残酷に思われたババジの行為は親切心からであったのだ。

 

 「野営地を変える」。大師の快い声が聞きなれた命令を発した。生き返った弟子も含めて一同は、非物質化し、岩棚から消えた。このアストラル的な手段は、聖なるバドリナートでババジが絶壁から絶壁へと移動する時に用いる手段の一つである。ババジはここで何世紀もの間暮らしている。人類がクリヤーという秘法を用いて遅いながらも着実に完全へと進化を遂げていくのを目撃しているのである。

 

 ほとんど知られていない。クリヤー・ババジの肉体上の人生については。この取るに足りないがしかし興味をそそることに対してババジにあえて尋ねる者はいなかった。我々が知ることを許されていたのは、クリヤーを通して人類を解放することに対するババジの揺るぎない信念だけであった。ババジの人生はババジの地球上での使命の歴史である。この歴史には宗教、宗派、国籍を破壊するようなことは含まれていない。9世紀、有名な一元論者であるシャンカラチャリアは、ゴヴィンダ・バガヴァトパーダの下でのグルクラヴァサ(グルと一緒に生活しての教育を受けること)を修了し、ヒンドゥー教の中心地であるバナラシに赴いた。そこでババジは肉体をまとい、彼にクリヤー・ヨーガを授けた(この出来事はババジからラヒリ・マハサヤとスワミ・ケバラナンダに直接語られました)。

 

 中世において、インドでは宗教の大変動があった。最も激しかったのは、ヒンドゥー教に寛大であったイスラム教徒のアクバル大帝の治世であった。この時代、多くの著名な聖者がインドの各地方を彩った。この中の一人がバナラシのヨーギであるカビールである。彼にマントラを教えたグルが単なるバクタ(バクティの実践者)でしかなかったのにどうして最も偉大なヨーギの一人に成り得たのかがずっと不思議であった。実は、15世紀にババジからイニシエーションを受けていたのであった。これらの事からババジの年齢が数百歳を越えていることは明らかである。

 

 19世紀はインドの歴史において特筆すべき時代であった。最初の独立戦争があり、現代のルネッサンスの始まりであった。クリヤーという高尚な教えを広める準備の整った時代だった。この目的のために選ばれた魂はババジのお気に入りの弟子であるラヒリであった。ババジは彼をこう呼んだ。

 

 ラヒリ・マハサヤに対するババジの愛は不滅で深いものであった。ある転生でラヒリは主にドロンギリ山で長い年月をババジと共にした。しかし、過去生での行いのために肉体を離れなければならなくなり、サットグル・ババジを見失ってしまった。完成された存在であるババジは、死後の世界でさえもラヒリの後を追いかけることができた。母猫のように終始変わらずラヒリを守り続け、ラヒリが1828年9月30日にベンガル州のナディア地区のムルタカシとガウア・モハン・ラヒリの子として、苦痛に満ちた子宮内での生を経て生まれるのを見届けた。シャーマ・チャラン・ラヒリと名づけられた。4歳のラヒリがナディアの砂浜に埋まっていた時、人生・死・死後においてもグルであるババジは彼を見守っていた。30年以上もババジは最愛の弟子を導き、自分の元へ戻ってくるのを辛抱強く待った。洞窟には、アーサナのための毛布とお椀が偉大なサットグルによって綺麗に保管されていた。

 

 33年間の家庭生活の後、その時はやってきた。ラヒリはこの時、ダナプールの軍事工学省で主計官として働いていた。ババジはラヒリの上司に働きかけて、電報を打たせ、ラヒリをヒマラヤの新たな駐屯地であるラニケット転属させた。ラヒリは、従者をつれ30日かけ500マイルの険しい行程をタンガ(軽2輪馬車)で移動した。幸運にも事務所での仕事は楽なもので、偉大な聖者を求めて聖なるジャングルを歩き回る時間がたっぷりと取れた。ある日の午後、ラヒリがぶらぶら歩いていると、遠くから自分の名前を呼ぶ声が聞こえ、ひどく驚いた。速足で歩き、ドロンギリ山を登り、平らな空き地にたどり着くと、ラヒリは見知らぬ人物にやさしく迎えられた。まるで自分の生き写しのような存在だった。ラヒリは小さな洞穴のひとつに腰をおろしたが、自分の気高い師匠を認識することはできなかった。長期間離れ離れであったことと新たな経験が邪魔をし、過去を思い出すことができなかった。お気に入りの羊毛製の敷物も見慣れた洞穴も助けにはならなかった。額をやさしくたたかれてやっとラヒリは前世の楽しい記憶を取り戻した。喜びが湧き上がるとともにラヒリはババジに気づいた。そしてババジは自分がずっとラヒリを見守ってきたことを語った。


(つづく)




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