Babaji's Kriya Yoga
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第3節.tada drastuh sva-rupe’vasthanam

      tada = そうして

      drastuh = 見る者

      svarupe = 本来の姿に

      avasthanam = 留まる


そうして見る者が本来の姿に留まる。

 「そうして」という言葉は、その後に続くことが、前の節で述べられた、意識内に生じる揺らぎと一体になってしまう癖を浄化する過程を経た結果であることを示しています。その後に続くことは、真我実現を達成した状態であり、意識内の乱れによって散り散りになってしまうような一時的な状態ではありません。一般的な肉体意識においては、人は内面に生じる形態や感情と常に一体になります。シュッディ・ディヤーナ・クリヤーのような瞑想やマントラを実践することによって、確固とした無執着を養うことができます。「見る者」とは真我のことです。ヨーガの過程を経ると、最後に、個別の魂(ジーヴァ)は自分が至高の存在である「シヴァ」であることを悟ります。個別の魂(ジーヴァ)は拡大し、本来の性質、姿(シヴァ)になり、肉体や他の体を自分だと誤認することはなくなります。

  ティルムラルによると、

    このトゥリーヤーチータ・ジャーグラトにおいて、

    踊りの主とジーヴァが一体になり

    この合一が生じると、マーヤーが消える

    この時、ジーヴァはシヴァの姿を獲得する。(ティルマンディラム2277)


「ジャーグラト」は目覚めた意識状態。「トゥリーヤ」は目覚めている時、夢を見ている時、深い眠りの状態を超えた第4の意識状態。超意識(トゥリーヤーチータ)はトゥリーヤを超えていることを意味する。

  修練:次の言葉を自己暗示として、特に眠る前や瞑想を終える時に唱える。「もはや何事にも私は乱されない」。



第4節.vrtti-sarupyam-itaratra

      vrtti(h) = 意識の揺らぎ

      sarupyam = 同化、一致、一体化

      itaratra = そうでなければ


そうでなければ、(意識の)揺らぎと個我が一体となる。

  通常の意識状態においては、人は、大部分が潜在意識から生じる精神活動や感情と一体になってしまいます。誰かに「あなたは誰ですか」と尋ねたら、普通、名前や職業や性別、宗教、家庭のことや、あるいはどこに勤めているとか、この世で最も好きなことなどを答えるでしょう。しかしこうした自己認識はすべて、記憶に基づいた思考でしかありません。真の自分、つまりヨーギーが言うアートマン(真我)が自分である、と認識している人に出会うことは本当に稀です。この本質的な自己においては、他人と自分との間に違いはありません。シュッディ・ディヤーナ・クリヤーを実践することによって、徐々にこうした誤った自己認識を手放すようになります。

 「そうでなければ」という言葉は、真我を意識している状態が継続しないということを示します。偽者の自分と一体化しないように試みている中で、ときどき本当の自分を忘れてしまいます。混乱して、その時いだいていた感情、例えば怒りや、あるいは疲労のような感覚、あるいは判断や記憶のような思考と一体なってしまいます。我々は、マインドが純粋な真我意識を隠してしまわないように無執着を養い、常に注意していなければなりません。あらゆる形態のヨーガを実践することによって、悟りという真我を常に意識している状態がもたらされやすくなります。

修練:常に平静な状態にあり、ビーズのネックレスをひとつに繋いでいる紐のようにあらゆる体験の背後に存在している内なる真我に意識を向けるのです。


 




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