Babaji's Kriya Yoga
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障害物とハート

 

あなたは、自分の心(マインド)がしばしば特定の記憶や感情に戻ることに気づいたことはありますか? それらは人間関係に関するものであり、その人たちとの間に未解決の問題があるのかもしれませんし、もしくは、それらはとても楽しかった過去の経験、例えば食べ物やセックスやスポーツ競技での勝利に結びついているのかもしれません。あるいは、それらは困難だった経験、つまりあなたが再び起こることを恐れている肉体的な攻撃や離婚や困惑した状況や他者に対する拒絶に結びついているのかもしれません。あなたはその理由について疑問に感じたことはありますか?

古典ヨーガやタントラの文献には、これらはヴァーサナ(ワーサナとも)、つまり慣習的な習性として言及されており、また、現代の心身関係の議論の中では、それらは一般に「障害物」と呼ばれます。

たった一日の中で、五感のひとつ、または複数のものを通して何千ものことが経験されます。それらのほとんどがあなたを通りすぎていきます。あなたはそれらを省みることをしません。しかし、それらの中には、記憶や障害物と繋がった一連の思考や感情を引き起こすものもあります。それらの経験は心(マインド)にいつまでも残り、離れない障害物になります。例えば、あなたは職場では、熟知している作業を日常的に大量にこなします。しかし、時に、通常とは異なること、例えば、あなたが今までに解決しようとしたことのない問題が生じます。その解決を試みて失敗した後、あなたは他の誰か、例えば、あなたの上司に助言を求めます。ところが、上司は「忙しい」と応じます。その日の遅く、夜になって、あなたは自分の心(マインド)が上司の反応についていつまでも考えていることに気づき、イライラし、自分の能力に疑問を抱きます。そして、その問題を放置します。6か月後、別の問題が起こります。上司に助けを求めることを検討し、求めることを再度考えますが、以前助けを求めた時の上司の反応が引っ掛かり、そうしないことに決めます。結果として、未解決の問題があっても上司の援助は求めなくなります。上司への憤りが増していきます。不満が増していきます。自分の能力に対する疑念が増していきます。

  執着するとは、「このことが無くならないで(終わらないで)欲しい」と思うことです。 起こった出来事がとても喜ばしいことで、気分がよかったので、この気分が終わらないで欲しい、と思います。

 たとえば、あなたは昇進し、昇給することが判ったとします。 すると、あなたは自分の人生がこれのおかげでよりよいものに変わるだろうと空想し始めます。 空中に城を建て始めます。あるいは、あるプロジェクトにあなたの時間やお金やエネルギーを投資することになり、その分が失われてしまうというような心配が出てくるかもしれません。そうして、その事について心配し続けます。 怒り、悲しみ、憤慨といった感情を長い時間抱き続けていれば、何らかの幸福に変わるだろうと愚かにも思い込み、そうした苦しみを引き起こしている原因にいつまでも執着するかもしれません。それらの感情を「手放す」ために、わずかではあるが意識的な努力をすぐに行うのではなく、それらの感情が自分にまとわりつくことを放置し、過去に形成された障害物を助長してしまいます。障害物には、エネルギーが未解決の経験の周囲に蓄積することが関わります。障害物は、反対していたり、困難を感じたり、時には苦痛でさえあることに対する心配や恐れとして顕在化したり、また願望や愛着に対する空想、典型的には快いと思っていることに対する空想として顕在化することもあります。障害物は、「私は肉体」「私は記憶」「私は情緒や感情」といった自己中心的な見方の副産物です。 障害物は、心(マインド)の混乱を表しており、この混乱はエゴイズムが原因で生じます。これは、執着したり、嫌ったりする物事の中に、「そこ(外部)」に幸福や不幸が見出されるという混乱です。 人生の流れは、ひとりひとりに数多くの経験をもたらします。しかし本来の自分ではないものと自己同一化してしまう習慣であるエゴイズムによって、意識はいくつかの経験の周りで縮こまり、私たちは身動きが取れなくたってしまいます。私たちは、実在という果てしない海に至る人生の旅路で、他の何もかもと一緒にそれらの経験を過ぎ去らせるのではなく、執着することを好みます。

人は皆、生きていく中で、沢山の障害物を少しずつ作り上げます。それらはある段階で、サムスカーラ(潜在意識に蓄積された印象)に結びつき、私たちの行動をコントロールし、カルマを形成します。 結果として、私たちのエネルギーは、今まで通りの欲望を求め、「安全地帯」から私たちを追い出す危機を避けつつ、意識的というよりも感情的に状況に反応しながら、かなり予測できる方向に動きます。

ヨーガの実践とは、これらの障害物を取り除いていく過程に他なりません。この浄化のプロセスにおいて、人はまず瞑想中にその障害物に気づくようになり、その後、それを瞑想日記に記録することで意識するようになります。瞑想中の出来事を「書く」という行為は、主観的な体験を客観的なものに変える良い機会となります。例えば、「私はこれこれについて悩んでいる」というようなことを紙に書くと、それはもはや真我(観察者)の見地から眺めている、ということになるわけです。この障害物を取り除くプロセスは、それらを手放すべく、心配したり、空想にふけったり、くよくよしたりするのを止めようと努力している時、つまりその経験が「通り過ぎて行っている」まさにその最中に、リアル・タイムで起こっているものです。これはその瞬間瞬間のプロセスであり、識別と努力とが要求されるものです。識別とは、永遠なるものと一時的なもの、また喜びの源と苦しみの源とを見極めるという行為のことです。「私は持っている」、「私は必要としている」、「私は欲しい」、「私は恐れている」などと思うのはエゴです。一方、常に無条件の喜びのうちにある者、すなわち内在の観察者こそが私たちの魂です。魂にはより好みをするようなこともなければ、何かが足りないというようなこともありません。

もっともこの浄化のプロセスは、何かの事象が起きた時、「そこ(外部)」の状況を変えようとして、努力することを妨げるものではありません。難局や問題に対して何らかの行動が必要とされる場合、ヨーガの実践者(魂)はそれに上手く対処します。ヨーガとは行動における技術なのですから。ヨーガの実践者(魂)は自分の中心を維持します。また、直感的な導きを求めます。そしてヨーガの実践者(魂)はきちんと意図して行動します。しかもその行動はエゴによる好き嫌いなどに基づくものではありません。ヨーガの実践者(魂)は、何が必要か、また何が役に立つかということをよく考えた後でしか発言することはありません。というより、この浄化のプロセスは自らに働きかけて、ヴァーサナ(慣習的な習性)の問題に対処するのです。さまざまな事象や問題が取り扱われる際に、心(マインド)が心配したり、空想にふけったりすることを余儀なくしているのはこの「ヴァーサナ」です。エゴは、幸福は「そこ(外部)」にあるはずだと想像することによって、幸福を見つけ出そうとする間違いを犯してしまいます。そしてその幸福がもたらされないとなると、エゴは、努力が実を結ぶか、あるいは不満や失望を感じてあきらめるまで、「そこ(外部)」で無理やりに事態を変えようと多大な努力をします。それとは反対に、ヨーギは、喜びや心配の因に「執着」しない選択肢があることを知っています。ヨーギは、内に目を向け、マインドと生気体の動き、つまり欲望と感情、「好き」「嫌い」に注目し、それらを「手放す」ことを選択します。ヨーギは、観察者として、落ち着いた状態、「心(マインド)のつり合いが取れた状態」に留まろうとします。その時、ヨーギは、一瞬一瞬に大きな喜びを見出します。真我実現こそが、ヨーギの財産であり、目標でもあります。様々な事態に直面しながら、「静かに活動的で、活動的で静か」であるのです。カルマ・ヨーギとして、「自分は行為者に非ず」ということを知り、結果には執着せず、自らの義務を遂行します。母なる自然と人間性をなすシャクティという道具を通して全てを行う神に自らを捧げた立会人であるのです。

ババジのクリヤー・ヨーガの1番目の瞑想法を定期的に実践することは、ヴァーサナを浄化する抜群の方法です。これは、パタンジャリが推奨する方法であり、これにはヴァイラーギャ、つまり無執着を養うことが伴います。


エネルギーの流れとハートチャクラ

 すべての経験は、私たちの内に流れるエネルギーの動きと関連があります。私たちのエネルギー・センター、すなわちチャクラがその経験に対して反応・対処します。チャクラが開くと、その経験は私たちの中を流れるようになり、意識はより高い波動状態へと導かれます。そこは喜び、愛、美、真理といったものが実現されている場所です。また、真の自分になれる場所でもあります。チャクラが閉じていると、意識はその経験の周りで縮こまってしまい、獲得と損失・喜びと悲しみ・名声と恥辱といった人生の二元性に捉われることになります。最も重要なチャクラは、アナハタ・チャクラまたはハート・センターとして知られていますが、これは胸の真ん中に位置します。あなたが愛や自信に満ちている時、また力強さやインスピレーションを感じている時、このアナハタ・チャクラの辺りがどのような反応を示しているか、気づいていますか? 逆に、あなたが傷ついたり、落胆していたり、弱気になったりしている時はどうでしょうか? アナハタ・チャクラはとても簡単に開いたり閉じたりすることができるのです。アナハタ・チャクラが開閉するとエネルギーの流れが変化し、その結果、生気体における喜怒哀楽が変化します。例えばあなたは夫や妻に対して強い愛情を抱くこともありますが、何か傷つくようなことを言われると、あなたはハートを閉ざしてしまいます。なぜでしょう? それは先に述べた「未解決のヴァーサナ」つまり慣習的な習性によるものなのです。五感を通じた経験に対応するさまざまなタイプのエネルギーがあなたの中に入ってきますが、消化不良を起こしているエネルギー、つまりあなたが過去から引きずっているまだ解決していないタイプのエネルギーが原因となり、中に入ってきたそのエネルギーは途中でブロックされてしまいます。これは、あなたの夫や妻がこれまで数えきれないほど「あなたのボタンを押してきた(未解決のヴァーサナを刺激する発言や行為をした)」ということかもしれません。あなたの夫や妻はそのボタンがどこにあるのかを知っていて、あなたはそれに反応するのです。あなたはまだそのボタン(未解決のヴァーサナ)を取り除いてはいません。

 もしも過去から持ち越して蓄積しているものが、あなたの内側に何もないとしたらどうでしょう。あなたがラマナ・マハルシのような聖者であったら、つまり悟りについて説明してほしいと請われた時「もはや何ものも私を乱すことはない」と答えるような聖者であったとしたらどうでしょう。それはまるで風景を楽しみながら通りを歩くようなものでしょう。あなたが経験するものは全て、あなたを通り過ぎて行きます。それは単に瞬間的な印象を残すのみで、完全なる気づきを得た者としてのあなたにとっては、何ら持続するような影響を及ぼすものではありません。このようにして、あなたの本質は最適に機能するようになっているのです。それは、愛に満ちて、拡大しながら、学びながら、成長しながら今この瞬間を生きることを可能にしつつ、機能しているのです。ですから、あなたには選択の自由があります。あなたの障害物が乱されないために、ボタンが押されないために、「そこ(外部)」で起きている事を変えようとしても良いですし、あるいは、賢明なヨーギとなってこの浄化のプロセスを突き進んでいっても良いのです。どの障害物が乱されたのかなどということを判断基準にして行動したり、決意したりするのではなく、あなたの中心を見出し、ただマインドの動きと生気エネルギーの昇降を観察してください。あなたの内奥に深く分け入ってみてください。そして大海のごときあなたの中で、障害物が溶けてなくなるのに任せてください。あなたの想像しうる最高の存在となることを強く願い、そのことに集中してください。そうすればハートは開かれ、あなたが「これが自分だ」と考えているものは溶けてなくなってしまうことでしょう。




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